過ぎ去る風に聞いてみた。
貴方の夢は何ですか?
「絶対やめてやる!」
怒りのオーラを体全体から滲ませ、ルシフェルはガブリエルの部屋へと歩いている。
「転職だ!転職してやる!」
この不幸な青年にいったい何が起こったのかというと、別段何も起こってはいない。
普通に、誰がフィーナルの掃除をするのかをくじで決めて、普通にルシフェルに当たってしまった。ただ、くじに、ルシフェルの名前しか書いていなかったという事実もあったかもしれない。
掃除を始めたルシフェルには苦難が待ち受けていた。
なにせフィーナルは広い。そんなだだっ広いフィーナルをルシフェル一人で掃除しなければならないのだ。
ちなみに、彼の部下たちは今里帰りをしている。
フィーナルの掃除は思っていたよりもきつかった。
折角きれいにしたところをサディケルが姑よろしくわざと汚し、「まだ汚れてるよ」などといやみを言うのは当たり前。
当然一日で掃除が終わるわけがないから、次の日も掃除なわけだが、そのときになれば、前の日に掃除したことなどすっかり忘れてしまったかのように汚く戻っている。
ストレスはたまる一方。それでも仲間たちの目を盗んではフィーナルを抜け出し、亡びの風を連発することで、なんとかストレスの解消をしていった。
掃除し終わった所を立ち入り禁止区域にすることで、掃除開始から約1週間後に終了した。
そのころには、胃に穴が開くのが先か、額が広くなるのが先かでトトカルチョが密かに開かれていたことなど、ルシフェルは知るよしもなかった。
「十賢者なんてやめてやる!」
幾度目かの呟きとともに、常に携帯するようになった辞表を握り締める。
「ガブリエル様!入りますよ!」
ガブリエルは、いかにもラスボスらしく愛用のフィリア人形を持って座っていた。
「どうしたルシフェル?今日はやけにご立腹だな?」
薄く笑みを浮かべ、見下すようにたずねるガブリエルにルシフェルは顔を紅潮させる。
パアン!
ルシフェルは、思いっきり辞表をガブリエルの額に叩き付け、
「十賢者をやめる!」
そう言い放って部屋を後にする。
というようなことができないのが中間管理職の悲しい運命。
恭しく膝をつくと辞表をガブリエルに差し出した。
「十賢者をやめさせていただきます。」
ちらりとガブリエルの顔を盗み見たが、別段驚いている様子もなかった。
(予想していたということか。)
心の中でため息を吐いて、立ち上がる。
「それではそういうことですので、失礼します。」
特に言いたいこともないのだろうと判断してルシフェルは踵を返す。
「ルシフェル。」
今まさに部屋を出ようというとき、彼の背中に声がかけられた。
「何ですか?」
「もう1つ頼みたいことがある。」
おそらくこれが最後の仕事。自分を抹殺するための。
受ければ無事で帰ってこれるという保障は皆無だろう。だが、このままやめるというのも逃げるようで気が引けた。
(面白い。その挑戦受けてやる。)
ルシフェルはガブリエルと向き直る。
「わかりました。私は何をすればいいのでしょう?」
「今日の夕飯は鍋料理にしてくれ。」
「・・・・・・・。」
暫し呆然となるルシフェル。と、同時に怒りで顔を火照らせる。
「わかりました!」
バタン!
ルシフェルは怒りを隠そうともせず、荒々しく扉を閉めて出て行った。
ルシフェルが出て行った扉を見つめ、ポツリとガブリエルは呟く。
「あいつ・・・・何怒ってるんだ?」
厭味などではなく、本気でわかっていなかった。
そして、手の中にある“辞表”と書かれた紙に目をやる。
「じひょーとは一体なんだ?」
流石宇宙一の天才ガブリエルとは言っても、異星の風習までは知らないらしい。
暫くぼーっとそれを眺めていたが、やがて飽きたのか紙飛行機にして飛ばしてみたりしていた。
「クソッ!なめてんのかあいつは!」
買ってきた30%OFFの鯛を丁寧にかつ素早くさばきながら、ルシフェルは愚痴をこぼした。
その手つきはなかなかのもので、あっという間に、盛り付けまで完了する。
「・・・・・・・・・。」
あまりのできのよさに、作った彼自身も見とれてしまう。
(何でだろう・・・・。)
だが、同時にむなしくなってくる。
ギター持って踊りたくなってきたが、そこはルシフェルのエッフェル塔くらいの高さのプライドが許さなかった。
そもそも、彼ができたてほやほやのときはこんなにも家事はできなかったはずだ。
まあ確かに閉じこもりっぱなしでろくな飯も食べていないランティスら研究員に気を使って、料理などの勉強をしてみたり、部屋の掃除をしたりしていた。今ではそれがあだとなっているわけだが。
「私は・・・・・私は雑用係などではない!!!」
バキッ
叫んだのと同時に手の中の菜ばしが真っ二つに折れた。小さく嘆息すると、それをゴミ箱に投げ入れる。
そう、確かに昔はこんなんではなかったはずだ。
今では、夢でしか見ることのなくなった35億年前の記憶を引っ張り出す。
いくら神の領域に近い十賢者とはいえ、限度というものがある。35億数年の記憶の中に自分がまだエタニティスペースに閉じ込められる前の一番大切な記憶は実験後の休憩時間にランティス博士と雑談を交わしているものしか残っていなかった。
あの頃の彼にとって、ランティスは一番尊敬していた人物だったし、今では考えられないことだが、博士の分身であるガブリエルの誕生を彼は一番心待ちにしていた。博士のいる場所が自分のいる場所だと思っていたし、博士の夢(というよりか願い?)である世界の支配は自分の夢だと思っていた。
ランティスがいなくなってからは、ガブリエルの下で働くのは当然だと思っていた。
だが、今のルシフェルにとってガブリエルは憎悪の対象でしかない。
何度か寝首をかきに行こうとしたこともある。
しかし、そのたびにランティスにそっくりなガブリエルの顔が脳裏にちらつき、結局行動にまでは移せずにいた。
自分の憎む相手が敬愛する人物の姿をしているということで、彼の憎しみはさらに膨らんでいった。
彼の夢は今も健在だ。もっとも、今となっては使命に近いような感じがするが。
此処を出ればその夢がさらに遠のく。
だが諦めることはできない。昔の恩師の夢だから。
叶えなければならない。今はもう会うことのない友人との約束だから。
(早まったかもしれないな・・・。)
今更ながら後悔が生まれる。
(まるで子供だ。)
家の仕事の手伝いを要求する親に文句を言い、腹を立てる子供。レベル的にはそれと同じだ。
冷静に考えてみればかなり馬鹿らしかった。こんな馬鹿らしいことで自分の夢を棒に振ることなど到底ルシフェルにはできなかった。
(また、やり直せるだろうか?)
鍋の具材を食卓に運びながらそんなことを考える。
何事も壊すのは容易いが、それを元に戻すことは、新しいものを作るよりも難しい。
どうやって謝ろうか考えているうちに、夕飯のしたくは終わりつつあった。
(で、結局何も思いつかなかったし・・・。)
鯛の刺身をしゃぶしゃぶしながらルシフェルはいまだに悩んでいた。
鍋料理は、早い者勝ちということもあり、食卓は今戦場だった。
ミカエルが「なんでキムチ鍋じゃないんだー!」と叫び、文字通り熱くなるのをルシフェルが止める。横から彼の皿に伸びてくるサディケルの箸を手ではたき落とす。懐から青白い巨大な手を出して大名食いしようとするラファエルに睨みを利かせて牽制するなどなど。
唯一フィリアだけが平和に冬の幸を満喫していた。
空になった皿を満たすべく、鍋に箸を伸ばしたとき、ガブリエルと目が合った。
「・・・・・・・。」
何かを言おうと口を開くが言葉が出ない。
諦め、鍋の白菜と白滝を自分の取り皿によそる。
「明日はお節料理を作ってくれ。」
不意にかけられた言葉に、驚き、目を見開く。誰が言ったのかはわかった。
しかし、その本人は今は鍋の魚を探すのに夢中になっていた。
(すべてお見通しということか・・・。)
彼は心中で呟く。
(いつかみてろよ。)
消えかけた決意を更に深く心に刻み付け、夢へ近づ・・・・・いたのだろう。
ルシフェルの祈願達成は、まだまだかなり果てしなく遠い。
余談だが、ルシフェルが手渡したあの辞表は、ガブリエルに散々飛ばされた挙句、ちょうどゴミ箱に墜落したのだった。
FIN