眩い閃光が、の目を焼く。咄嗟に両腕を顔の前で交差させて光を和らげようとするが、それでもなお、瞼の裏が赤く見えるほどに強烈な光。其の中にあっては当然目を開くことは叶わない。
だが、それも暫くすると徐々に和らいでいき、恐る恐る目を開けた。目の前で交差された自らの腕が、闇の中でぼんやりと視界に映る。やっと収まったかと腕をどけると、そこは見慣れた庵ではなく、見知らぬ町であった。
「な……。」
何が何だか分からなかった。自分は確かに庵に居た筈だ。これから寝ようとして、少しだけ悪戯心を起こして……。
そこまで考えて彼女は頭を振った。今は考えるより戻ることのほうが先決と踏んだためである。目が覚めたとき自分が居ないことに養い子が気付けば狼狽する。最悪探しに来る可能性だってある。
頭上を仰げば月が天頂付近で煌々と輝いているから、幸いなことにさほど時間はたっていないのだろう。
しかし問題なのは此処がどこなのかが分からないということだ。流石にそれが分からなければ帰りようがない。更に困ったことに、此処には人が全く居ない。幾ら日中は人混みで賑わうだろう街中といえど、夜にもなれば通りがかる者さえ一人も居ない。
どうしたものかと項垂れつつも歩き出す。
辺りを見回しながら歩くが、当然人影など見当たらない。こんな夜中だから民家に居る人たちを起こして態々聞くのもと気が引けていたが、検非違使すら見つけられない今、そろそろ覚悟を決めたほうがよさそうだ。は、適当な家に目星をつけて、そこに近づいていった。
そのとき、遠くのほうで何かが視界の端を通り過ぎていった。
「!!」
慌ててそちらに視線を向けるも最早動くものなど何も無い。だが、彼女の見間違いでなければあれは間違いなく人影。
は急いで影が向かったと思われる方へと走り出した。体つきは華奢だが、こう見えても彼女は武家の出であり、体力にはそれなりに自身がある。
幾ばくもしないうちに、は小柄な後姿を見つけた。
「そこの者!暫し待たれよ!」
先程まで気にしていた近所迷惑など考えもせず彼女は声を張り上げた。が、聞こえていないのかそいつはそのまま走り続ける。それどころか、僅かに走る速度が上がっていた。
の方も負けじとそれ以上のスピードを出し、そいつとの距離を詰め、そして再び声を掛ける。
「お待ちくだされ!」
だが、やはりそいつが立ち止まる様子は無い。最早声が聞こえぬ距離ではない。走るのに夢中で聞こえないのか、それともわざと無視しているのか。どちらにしてもここで諦めるわけにはいかない。
折角の好機を逃してなるものかと、彼女は三度叫ぶ。
「そこの者!待てと言うのが聞こえぬのか!?」
今度はちらりとこちらを見た。しかし、止まる気配は無い。
この態度に、は自分の中の何かが切れる音が聞こえたような気がした。
「止まれと言うのが分からんのかああああ!ボケええええ!!」
彼女は更に加速すると、そいつの背中に思いっきりとび蹴りを食らわした。ぐぅっと呻き声を上げてそいつが地を這う。
「此処までか……。」
「そういうことだ。さあ、さっさと立て!」
はそいつの右腕を掴むと無理矢理立ち上がらせる。
そして改めてそいつの姿を見つめた。服装は誰が見ても上物の仕立てで、どこぞの公達の家柄のものだと言うことが窺える。端正な顔立ちと、華奢な体つきに、一瞬女かと思ったが、身に纏う衣服の仕立てや、発せられる声の低さからその考えは打ち消された。
彼は捕まった途端、あんなに必死に逃げていたのが嘘のように大人しくなる。それが奇妙に思えては声を掛けた。
「どうした?」
顔を覗き込むと、少年は苦しそうに空いている左手で服の上から胸を押さえ、目を伏せる。
「いや、何でもない。
早く私を討つといいだろう。」
不穏な空気を孕ませた“討つ”という言葉に、彼女は首を傾げる。
「何故私が貴殿を討たねばならぬ?」
驚いたのは少年の方だった。彼は弾かれたように顔を上げると、疑問符を顔面にこれでもかと言うほど貼り付けているの顔をまじまじと見つめ返した。
「貴女は私の首を捕りに来たのではないのか?」
「何の話をしておる?
私は只ここがどこなのかを聞きたいだけだ。
それなのに貴殿は止まってくれぬし、私もそんなに若くは無いのだから、あまり無理はさせんでくれ。」
「す……すまない……。」
少年は本当にすまなさそうに謝ると、俯いた。
「まあよい。
して、此処は何処だ?」
「ああ、京だ。」
「京……?」
「そうだ。」
答えを聞いたが、どうも納得できない。彼女は人里離れた山奥に住んでいるが、その山とて京の一部。物資の調達のために街の方にも数日毎に下りてきているそこは、にとってそこは決して未開の地ではないのだ。
にもかかわらず、今眼前に広がる景色は彼女の知っている京とは似ても似つかぬ町並み。
「とはいえ、京も広いからのう。
京のどの辺りかは分かるか?」
「大分走ったが、恐らく六波羅あたりだろう。」
顎に手を当て再び考え込む。
六波羅は京に下りてくれば必ず立ち寄る場所で、彼女にとっては庭みたいなもの。知り尽くしていると言っても過言ではない土地で、見知らぬ場所などあるはずがない。
「あの……。」
すっかり存在を忘れられた少年が遠慮がちに声を掛け、を思考の渦から引っ張り上げる。
「ん?何だ?」
「もう行ってもいいだろうか?」
そこで彼女は初めてまだ彼の腕を掴んだままだということに気がついた。
「ああ、済まぬ。貴殿のおかげで助かった。」
「いや、大したことはしていない。」
「そう言えば貴殿は追われておるようだが、咎人か何かなのか?」
「…………。」
の率直過ぎる質問に、少年は苦しげに眉根を寄せ、顔を背ける。
「失礼。少々不躾だったな。
貴殿のような者が罪を犯したと言うのが不思議で尋ねてみただけだ。
まあ、しかし恐らくはそれも冤罪であろう?」
「え……?あ…いや…。」
「よいよい。無理に語ろうとするな。
都の政権争いは、絶えることなき人の業とはいえ、いざ己の身に降り掛かれば辛いもの。」
俯き加減に語る彼女の口調はどこか切なく、浮かべる笑みはしかし、眉尻の下がった悲しき笑顔。少年は意識せず胸元の鎖を握り締めた。
「……。」
「長々と引き止めてしまって悪かったな。私も早々に帰らねばならぬ。
また会うときがあればそのときに是非今夜の借りを返させてくれ。
それではな。」
言いたいことを言い終わると、彼女は彼に背を向け走り出した。が、一度立ち止まり振り替えると、唖然とこちらを見ている少年に一言「捕まるなよ」と言って再び走り出した。
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