「遅かったか……。」
誰もいない室内を見回して、は一人呟く。
そんなに長い時間ではなかったように思ったが、それでも養い子が目を覚まし、自分を探しに行こうと決断するくらいの時間はあったらしい。布団がきっちり畳まれているところを見るとよっぽど混乱していたのだろう。
「全く、しっかりしているのだかいないのだか。」
元々どこか間の抜けたというか、的外れな性格だが、混乱するとそれが更に顕著になり、必要ないところに手を掛ける。もっと別にやることがあるだろうと何度か指摘をしたことはあったが、一度根付いてしまった性質は変わることは無かった。
「さて、どうするかのう?」
は顎に手をやり暫し考える。今から探しに行ってこの広い京で落ち合えるかと言えば確率は低い。それだったら此処に留まっていたほうがいいのではないか?もし町に出て行ったとしても、今の時間帯は真夜中なので町人に姿を見られることもないだろうし、間は抜けているが莫迦ではないので遅くとも朝には一度こちらに戻るだろう。
そう判断したは、丁寧に畳まれた布団を敷きなおし、今度こそ夢の世界へと旅立つことに決めた。まどろみの中、帰ってきた養い子が自分が寝ていることに気付けば怒るだろうかと苦笑し、そこで彼女の意識は途切れた。
の予想は大きく外れ、朝になっても養い子が帰ってきた気配はなかった。庵の中は相変わらず静かで、時折外から小鳥のさえずりが聞こえてくるほどである。
「あやつ、よもや自分が鬼の子であることを忘れているわけではあるまいな。」
顎に手を当て、考える。
鬼への迫害が少なくなったとはいえ、それは鬼が人里にその姿を滅多に現さなくなったからであり、完全になくなったわけではない。鬼は、今でも人々――特に京の人たちにとって恐怖の対象なのだ。
嘗て、養い子が一人で勝手に山から下りてしまったときは危うく殺されるところだった。そのときのことをまだ覚えているのなら、一人で町に下りるということはしない筈だ。
山を探しているか、それとも危険を承知で町にいるか。
「クソッ!」
は毒づくと、枕元に置いてあった刀を手に取り庵を飛び出した。
山と云えど、養い子が行ける場所は限られている。辺りを注意しながら探してもさほど時間を掛けずに終わった。
「これだけ探しても見つからないところを見ると、やはり町か……。」
胸の動機が激しくなる。どうか無事でと祈りながらは山を下りた。
京の町はやはり変わっていた。たった数日でこれほどまでに変わるものなのだろうかと首を傾げつつは養い子を探す。
人人人でごった返す市場には探し人の姿は見受けられなかった。恐らく此処にはいないのだろう。
彼女は人混みを抜け、西国街道へと出た。此処に来ると一気に人はまばらになる。
「まあ、此処は結構物騒だから、当たり前と言えば当たり前か。」
路の向こうを見ながら呟く。そこには、数人の男たちが、身なりのいい老女と子供を取り囲んでいる。追剥であろう。
は、小さく嘆息して現場へと足を向けた。
「出すもんだしゃあ、痛い目見なくて済むんだよ。」
なんとも捻りのないお決まりの台詞が飛び出したものだと思いつつ、集団に近づくたびに徐々に足音と気配を消していく。だが、その所作はあくまで自然で、並みの使い手ではそこらの通行人との区別はつかないだろう。
そして、ゆっくりと、彼女は刀を鞘ごと帯から抜く。その刹那――
ゴッ
は残りの距離を一瞬で詰め、刀身を鞘から抜かないまま彼女の正面にいた男の頭に振り下ろした。何が起こったのかわからないまま、追剥その一は地に沈む。状況を整理する暇を与えずに、もう一人の追剥の米神に回し蹴りを入れ、更に別の奴の鳩尾に突きを繰り出した。刀を引き寄せる反動を利用して放った肘打ちが真後ろにいた追剥の顎にまともに決まる。フラフラとよろめく追剥の顔面に更に裏拳を叩き込むと、そいつは後ろの男も巻き込んで仰向けに倒れこんだ。
一瞬の出来事だった。追剥たちは一体自分がどうなったのか理解していないだろう。
は、ゆっくり見せ付けるように刀を抜き放つと、折り重なって倒れている二人のうち下にいるほうの眉間にそれを突きつける。そして、何時もよりも幾分か低い声で「去ね」と言うと、男たちは「ひいいい」と何とも情けない悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
完全に男たちの姿が見えなくなったのを確認すると、は溜息を一つ吐いて刀を元の位置に戻し、未だに唖然としている老女と子供に向き直った。
「御仁方、大事はありませぬか?」
話しかけるが、老女は未だ呆然として動かない。只、を凝視して固まっていた。口元が微かに動いているから、何かを呟いているようだったが、生憎と聞き取れる声量ではない。
「もし?どうかなされましたか?」
失礼かとも思ったが、一応老女の目の前で手を振って意識を確認する。隣では子供も「お祖母様?」と不安気に老女を見上げている。
そこでやっと老女は我に帰り、慌てて頭を垂れた。
「申し訳ありません。貴女があまりにも私の知り合いに似ていたもので。
助けていただいてありがとうございます。」
「礼には及びません。
しかし、如何様の御身分の方なのかは存じませぬが、共の者も連れずこのようなところに居られるなど、些か思慮に欠けているのではありませぬか?偶々私がここを通りかかったから良かったものの、もしそうでなかったらみすみす殺されるおつもりだったのか?」
淡々と事実を並べる言葉の中に叱責をしっかりと籠めるの前で、老女は何も言わずにただ目を伏せるばかり。
その様子を今まで黙ってみていた子供は老女を庇うように彼女たちの間に割って入った。
「お祖母様を責めないでやってくれ。私が我侭を言ったのだ。」
純真な瞳で見上げる子供に、は無言のまま只じっと見下ろすと、子供は一瞬たじろぐが、決して目を逸らそうとはしない。数秒の睨み合いの後、は子供の頭に手を乗せ、くしゃりと撫でる。びくりと子供の肩が跳ね上がるが、撫でられているのだと分かると今度は不思議そうな目で彼女を見上げてきた。
「自分の責は分かっておるのだな。それならば私が言うことは何もない。
只、今後こういった我侭は貴殿がお祖母様を守れるくらい強くなってから言うようにしなさい。」
眉根を寄せ、俯く子供の様子から、どうやらの言葉の意味をしっかりと理解してくれたらしい。満足気に頷くと、彼女は子供の頭から手をどける。
「出来ることならこのまま御仁方を送り届けて差し上げたいのですが、生憎と忙しい身故、これにて御前を失礼致します。」
「親切にどうも。
ご心配には及びません。心強い連れが来てくださいましたので。」
あそこに、と老女が指差すほうを見れば、小走りにこちらへ近づいてくる青き影。見覚えのあるその鎧姿に月影は目を瞠った。
うかつだった。まさか、彼が直々に護衛するほどの人物だとは知らなかったのだ。
「ならば、私はこれにて。」
不自然に思われているかもしれないという配慮は最早彼女には出来なかった。
早口で捲くし立てると、一礼して老女が止める声も聞かず走り去った。
「尼御前!!」
恩人の背を呆然と見送っていた老女は自分を呼ぶ声で我に返った。
「将臣殿。」
「ご無事でしたか尼御前!?」
「ええ。今しがた追剥に襲われましたが、とある女性に救われましたので。」
「そうですか。良かった。」
「心配を掛けてしまったようでごめんなさいね。」
「全くです。
偶々助けてくれる人が居たから良いようなものの、そうじゃなかったら殺されてたところだったんですよ。唯でさえここは物騒なのに、護衛の一人もつけないなんて正気の沙汰じゃありません。
どうか頼みますからこのようなことは2度としないでください。」
安堵の溜息を漏らす将臣を見て、老女――二位の尼はクスリ微笑を漏らした。
「尼御前?」
「ごめんなさい。
将臣殿があの人と同じことを言うものだからつい。
あなたたちは本当に似ているのですね。」
「え?」
「あ、いえ。何でもありません。気にしないでください将臣殿。
少し……昔を思い出していただけですから。」
そう、ただ似ていたから少し思い出してしまっただけ。彼が“彼”でないように、彼女も“彼女”であるはずがないのだ。
「そういえば、その恩人はどこへ?」
「還内府殿が来ると慌てて立ち去ってしまったのだ。」
「折角褒美を授けようと思ったのに」と口を尖らせる安徳には、表面上笑みを浮かべて一先ず宥め、だが心中ではその恩人に一握りの疑念を将臣は抱き始めていた。
「気にすることはありませんよ、将臣殿。
あの方に邪心は一切ありませんでした。私のことも、貴族の生まれということは分かっていたのに、何も聞くことが無かったのですから。
あの方が早々に立ち去ったのは別に将臣殿を見てのことではないと思いますよ。元々急ぎの用がおありの様子でしたから。
それに、もし何か企んでいたとしても、もう二度と会うことも無いでしょう。」
「それならいいんですけど。」
「さあ、もうそろそろ行きましょう。」
急かす彼女がどこか不自然に感じられて、将臣はそれを追求しようとし、止めた。こちらに来て三年。色々なことを知ったが、それでもまだまだ彼が踏み込むことを許さない領域がある。いつか、必要なときに話してくれる。そう自分に言い聞かせ、将臣は前を歩く二位の尼に続いた。
彼らが去っていくのを、は少し離れた木陰で見つめていた。慌ててその場を離れたのはいいものの、彼がやって来るのと反対の方に来てしまったため、町に戻れずにいたのだ。
情報を得るために、奴らのお膝元に居るのはいいが、確実に寿命を縮めている気がする。
「行ったか……。」
歩く方向から、どうやら京を離れるらしい。珍しいとは思ったが、彼が京から居なくなるのは好都合だった。
彼らの背が見えなくなると、彼女は木陰から離れ、再び町の中へと戻った。
「居らぬ。」
あれから嵐山や、五条大橋を回り、神泉苑までやってきたが、それらしい人物は見当たらない。
「一体どこまで探しに行ったんだ!?」
ダンッと思いっきり近くの桜の木を殴るが桜の花弁が散るばかりでどうにもならない。
こうなったら聞き込みをするほか無いかもしれないという考えがの脳裏を過ぎる。だがそれは養い子が生きていると思えるうちは出来るだけ避けたい手段だった。
聞き込みをするとなると、当然養い子の身体的特徴を述べなければならない。そうなれば、こちらの探し人が鬼の子供であることが知れてしまう。以前の事件から大分経ったとはいえ、今度騒ぎが起これば、自分は確実に養い子と共にこの地を追われることになるだろう。
なるべく面倒ごとは起こしたくない。
だが、もしかしたらもう戻っているかもしれないという可能性もある。
「一度戻るか。」
それで、居なかったら腹を括って聞き込むことにしようと捜査方針を決め、ふぅと一段と大きい溜息を吐き出すと踵を返した。
そして、その集団がの目に映った。
奇妙な集団だった。武士に陰陽師、尼僧と何の共通性もない。だが、その中に、一際目立つ金髪の大柄の男。鬼だ。
その鬼は穏やかに微笑みながら尼僧とはまた別の長髪の少女の頭を撫でていた。迫害されているわけでも、畏怖されているわけでもなさそうだ。
彼らならば自分の養い子のことを聞いても問題ないのではないか。思うと同時には走り出した。
「もし!そこの方々!!」
声を掛けて引き止めると、代表らしい橙の髪の武士が「何だ」とぶっきらぼうに尋ねてくる。
「突然不躾な質問ですが、貴殿は鬼ではありませんか?」
真正面から鬼を見据えながらは言葉を紡ぐ。それに激怒したのは最初声を発した武士であった。
「貴様!先生に失礼だぞ!!」
突然の怒鳴りだす武士に鬼は静かに「九郎」と言って諌めた。
一方はというと、一瞬驚きで声が出なくなった。九郎と呼ばれた武士の怒鳴り声に驚いたわけではない。鬼に師事する武士が居ることに驚いたのである。
そんな彼女の様子などお構いなしに、鬼は言葉を続ける。
「いかにも私は鬼だ。」
淡々と鬼は答える。
「子供を捜しているのです。鬼の子で歳は9つ、貴殿のような癖毛の髪、そして左頬に大きな火傷の痕のある子供を知りませぬか?」
「う〜ん。私は見てないな。
弁慶さんはどうですか?」
「申し訳ありませんが僕も知りません。」
頭を撫でられていた少女が皆の意見を聞いてくれるが、どれも吉報は無い。
「それなら、もし見かけたら、すぐに戻れと伝えてはくれまいか?」
やはり一度戻る必要がありそうだと思い直し、彼女は言伝を頼む。
ありがたいことに、彼らは誰一人と嫌な顔をせず了承してくれた。
「それでは私はもう失礼します。
どうか言伝の方よろしく頼みます。」
「任せて置いてください。」
笑顔で返してくれる少女に一礼すると、はその集団に背を向け、去ろうとする。が――
「お待ち下さい。」
鬼の制止の声に首だけを後ろに巡らせ、振り返る。
「その子供の名前は?」
そしては養い子の名前を口に出す。
「リズヴァーンです。」
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