まず最初に嘘だろという思いが駆け抜け、次いでそう言えば似てるってか今まで気付かなかったのがどうかしてるという結論に達した。てっきりどっかの国の人質として連れてこられた姫だとばかり思ってた。だが弁解させてもらうならば右顔面が潰れている上に俺が知っているの弟こと毛利元就とまるで真逆の表情をされ、更には気質までも正反対となれば気付かないのも無理は無いと思う。

「ええ、お客人の気分が優れないようでしたので介抱をしてたんですよ。」
 顰められた眉は次の瞬間にはあの和やかな笑顔に戻っていた。
 の言葉に漸く元就の視線がこちらを向いた。氷の視線が俺を突き刺す。
「姉上はこやつが何者か知っていてこの部屋に引き入れたので?」
「いいえ。ただ今晩こちらにいらしている長曾我部殿の関係の方かと――」
「こやつがその長曾我部元親です、姉上。」
 流石にこれにはも驚いたらしく目を見開く。今回二度目の瞳御開帳。いや、どうでもいいか。
 渦中の俺を蚊帳の外に出したまま、姉弟の会話は続く。
「人助けもよろしいですが、少しは己の身分も弁えてください。毛利の姫がかように軽々しく男を自室へ招くなどという噂が立っては毛利の名に傷が付きます。」
「おい、ちょっと待てよ毛利。」
 実の姉に対する酷烈な言葉に俺は思わず声を上げた。
「貴様は黙っていろ、長曾我部。」
「いいや、言わせて貰うね。俺が原因で責められてるのに、黙ってられるか。」
「確かに己の限界も知らずに飲み続けた貴様が原因だ。だが今はそんなことは問題にしていない。」
「ほう。毛利のモンは客が倒れてんのを見て見ぬ振りして放っておくのか?
 大した持成しじゃねえか。え?」
「何処までも愚かな鬼よ。貴様のような者の介抱など姉上御自らやらずとも侍女にでもやらせておけと言っておるのだ。」
 それを姉上は…と尚も言い募ろうとしたとき、元就、と静かなる制止がから発せられた。
「同盟国の国主相手に失礼にも程がありますよ。
 それに、態々眠っている侍女を起こさなくとも、酔い潰れた殿方の介抱くらいは私も出来ます。」
 ゆったりとした口調でもって窘めている内容はしかし、今までの話と噛み合っていなくて、心底呆れたような溜息を元就が吐くのも無理ないかなとちょっと思った。
「姉上は我の話をしかと聞いておられましたか?」
「聞いてましたよ。
 ただ、この程度のことで傷つく程毛利の名は柔ではないと私は思ってますから。どうせそのように噂をするのはそうすることでしか毛利を貶めることが出来ない小人にすぎません。元就が一々気にしてあげることはありませんよ。
 それに、結果的には長曾我部殿にささやかながら貸しができました。貸しは作っておくに越したことはありません。
 と、言うことで、今度困ったことが起こったときに返してくださいね、長曾我部殿?」
 にっこりと笑みを浮かべる姿に、場の緊迫した空気から毒気が抜かれた気がした。
 何というか……大した女だと思う。毛利の姉っていう立場も手伝ってるんだろうが、それにしたってあそこまで言うには相当神経図太くないと出来ないだろ。しかも結構ちゃっかりしてるし。
 まあ、ただの空気が読めない天然という可能性もあるが。
「さあさ、もう夜も大分更けていますし、長曾我部殿はそれを飲まれたら私が客間までご案内しましょう。元就も残った執務は明日に回してもうお休みなさい。」
 指摘されて俺は今まで忘れていた水の存在を思い出した。酔いの方はすっかり醒めていたが、毛利が来たことによって知らず知らずのうちに緊張してたらしく、意識してみると結構喉が渇いていた。
 におうと返事を返して俺は一気にその水を呷った。
「こやつの案内は我がしますので姉上の方こそお休みください。」
「元就は戦の後で疲れているでしょう?私は大丈夫ですから、貴方は先に休んでいなさい。」
「愚凡の輩がまた姉上の顔を見て化物と騒ぎ出すやも知れませぬ。」
 その言葉を毛利が言ったとき、俺は丁度椀をに返すところだった。
 椀を受け取ったの手がピクリと振るえ、反射的に顔を上げた俺は見てしまった。眉根を寄せ、堪えるように唇をかみ締めるの顔を。
 と会ってまだ一刻も経っていないが、あいつは常に笑顔だった。その笑顔が驚愕以外で崩れたのはこれで2回目。一度目は毛利が来たとき。だが今の方がずっと苦しそうだ。身内――しかも弟に化物呼ばわりされれば当然の反応か……。
 俺が姫若子と揶揄されていた時代、少なくとも家族は俺の肩を持ってくれた。親父は情けねえ俺を叱咤することもあったが、それでも俺の味方だった。
 だがはどうだ。
「姉上の方こそ、我のことは気にせず、先に休まれるがよろしい。」
「それもそうですね。
 それでは長曾我部殿、客間へは元就が案内しますので、元就についていって下さい。」
 お休みなさいませと、頭を下げるの顔はもう見えない。
 俺が何か言おうと口を開く前に、毛利がさっさと来いと行ってしまったので、仕方なくお休みとだけ返して毛利の後をついてった。

「おい、あんな言い方はなんじゃねえか!?」
 毛利の背中を追いかけながら、俺はそう声を荒げずには居られなかった。
「貴様には関係あるまい。」
 数歩前を歩く毛利は振り向きもせずに返す。
 そう言われればそれまで。だがここで引き下がってたまるか。
「関係なくねえよ!!
 大体てめえは身内に対する情すら持ち合わせちゃいないのか!?」
 更に語気を強めて言っても、言いたいことはそれだけかと一蹴。まともに取り合う気なんかこれっぽちもないらしい。
「きっと今頃泣いてるぜ?」
 その言葉で漸く毛利は立ち止まり、俺を振り返った。
「泣く?姉上が?ありえぬ。」
 あまりにもきっぱりと言い切ったので、俺は逆に絶句してしまった。
「姉上は基本的に無意味なことはしない主義だ。」
「お前、自分の姉貴の顔見てたか?あんなに辛そうな……苦しそうな顔してたじゃねえかよ。」
 何でこいつには分からない?毛利が非情だってことは、戦場で嫌と言うほど知らされた。だが、日常生活で、しかも自分の姉にまでその凍てついた刃を向けるなんて。俺には理解できない。
「何だ貴様、随分姉上に入れ込んでいるな。悪酔いの介抱をしてもらったからという理由だけではなかろう。かつての自分を見ているようでいたたまれないか?
 それとも……。」
 毛利は一旦そこで言葉を切ると、改めて今度は身体ごとこちらを向いた。
「それとも姉上に懸想でもしたか?」
 それは疑問であって疑問でなかった。何故なら毛利は初めからこちらの答えを期待していないのだから。
 俺がどう返そうかと思い悩んでいるうちに毛利は再び前を向き歩き出した。
「下らぬ。姉上は半端に同情されるほど弱くも儚くも無い。いい機会だから覚えておくがいい。姉上はめそめそとただ涙を流すことしかできぬ他の女とは違う。かようなことに時間を掛けるよりは我の寝首を如何に効率よく、そして安全に掻けるかを考えることに時間を費やすだろう。」
「おい、ちょっと待て。寝首を掻くってどういうことだよ?」
「そこまで貴様に教えてやる筋合いなど無いわ。
 そら、着いたぞ。」
 毛利が立ち止まり、顎で一つの部屋を指し示す。
 だが、俺は先程毛利が言った言葉が気になった。
 俺はさっさと下がろうとする毛利の腕を掴んで引き止める。
「おい、ちょっと待てよ。話はまだ終わってないぜ。」
「煩い。我は元より貴様と話すことなど無い。
 分かったらさっさと寝ろ。貴様と言葉を交わしている時間は一刻一秒でも無駄なのだからな。
 後、今度外をふらふら出歩いて倒れても介抱する者は居らぬぞ。」
 毛利は一気に捲し立てると唖然としている俺から腕を取り返して、今度こそさっさと奥へ下がってしまった。

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