“我の寝首を如何に効率よく、そして安全に掻けるかを考えることに時間を費やすだろう”
毛利のあの言葉が気になって昨夜はよく眠れなかった。
が毛利の寝首を掻くってどういうことだ?は女、その上尼だ。だから家督争いは関係ない筈。それともが目を掛けてた毛利元就以外の弟があいつに殺されたとか…か?
でも、俺が見た限りじゃ毛利を恨んでるとか、そんな様子は無かったけどなぁ。自分に弟がいると言ってた時もどっちかってーと、誇らしいって感じだったような気がするし……。
「あー!さっぱり分からん!!」
「何が分からないのですか、長曾我部殿?」
「!!」
するはずの無い声がして俺は文字通り跳ね上がった。いや、人間って極度にびっくりすると本当に跳ねるのな。
いや、今はそんなこと思ってる場合じゃねえか。
俺は暴れる心臓を深呼吸を数度することで何とか落ち着かせ、ゆっくりと声の方を向いた。
そこには予想通りというか何というか、が居て、相も変わらず笑顔でこちらを面白そうに見つめていた。昨日と違うところといえば、今日は法衣を着ていることと、焼けた右顔には包帯が巻かれているというとこくらい。
ああしかし、包帯で火傷が隠されてるからかも知れないが、改めて見ると、確かに毛利そっくりだ。指摘されるまで気付かなかった俺が云うのもなんだが、昨日が言ってたように、の顔の傷が無く、毛利がもっと笑うようになれば、本当に見分けがつかなくなるのだろう。あいつが笑うなんてことは100万年に一度も無いだろうけど。
「部屋に入る前に一応何度か声は掛けたのですが、返事がありませんでしたので、失礼かと思いましたが、勝手に入らせていただきました。」
どうやら俺が黙っているのを部屋に無断で入った怒りからだと勘違いしているらしい。
「いや、構わねえよ。で、何か用か?」
「ええ、朝餉の支度が出来たのと、後昨日の非礼を詫びに。」
非礼?はて、俺はに謝らせるほどの非礼をされたか?どっちかっていうと、謝んなきゃいけないの毛利じゃね?
「非礼…っても、俺なんかされたか?」
流石に最後の部分は口には出さない。
「知らなかったとは言え、長曾我部殿に数々の暴言を吐き、あまつさえ身の程知らずにも説教までしてしまいましたことをお許しいただきたく。」
非礼!?あれが毛利家の非礼なのか!?
おいおい、そんなこと言ったらうちの野郎共なんか何人打ち首になっても足りねえぜ。
「あんなの非礼のうちに入らねえだろ。」
「そうなのですか?長曾我部殿は寛大なお方なのですね。」
毛利の心が狭いだけだと思う。
「それほどでも無いと思うが、でもあんたは毛利の言うとおり少し女としての嗜みを持った方がいいぜ?」
「女の嗜み……ですか?しかし、私は僧ですのでそのようなものは不要だと思うのですが。」
「別に花嫁修業とかのことを言ってるんじゃねえよ。そうじゃなくて、こんな風に男の寝室に入ってきたりしたらやばいってこと。
尼僧っつっても性別が消えるわけじゃないんだしよぉ。」
「はあ…。
でも、長曾我部殿は私を見て欲情したりはしないでしょう?」
それを聞くか、この女は。はいって言ってもいいえって言ってもどっちも失礼じゃねえかよ。どうしろって言うんだ俺に。ってか、よくよく考えると“欲情”って女が言う単語じゃねーよな?
「まあ、もし仮に長曾我部殿が物好きで私を襲いたくなったとしても、元就の姉である私を襲えば長曾我部殿の首を獲る大義名分が出来、即刻それは執り行われるでしょう。手勢を連れていているといっても数など高が知れてるでしょうから、簡単ですし。そうすれば四国の烏合の衆の残党など元就の敵になりませんし、めでたく四国は中国の傘下ということに。
それでもいいという覚悟なら私の方は一向に構いませんよ?」
いや、構え。
「というか、この計画結構完璧じゃないですか?何か、実行した方がいい気がしてきました。
と、言うことで、私を抱きません?長曾我部殿?」
「抱くか!!しかも、計画全部露呈されてんのに乗る馬鹿が何処に居るんだよ!?」
「え?」
え?って…。何その意外そうな顔。もしかして俺その馬鹿だと思われてたの!?
ちょっとさん、それさっきあんたが謝ってた昨日の暴言より失礼だから。
「なら、既成事実だけでも作っておきましょうか?私が裸でここに横になっていれば、誰かが勘違いしてくれるでしょうし。」
「誰でも勘違いするから!ってか、いい加減四国落とそうとするの止めよう!!
ほら、織田との戦もあるし!」
このっていう女、冗談なのか本気なのかさっぱり分からん。だがもし本気だったら色が使える分、毛利より厄介かもしれねえ。
俺がげんなりしていると、今まで騒いでいたが急に黙り込んでしまった。
「?どうした?」
「次の戦、織田が相手なのですか?」
「あ?ああ、毛利の奴、教えてないのか?」
「元就は私を戦に関らせたがりませんから。風の噂で四国との軍事同盟の話までは聞こえたのですが、それが何のためなのかは……。
そうですか、織田が相手なら確かに四国と争っている場合ではありませんね。」
最後の部分は自らに言い聞かせるように呟いて、そのまま考え込んでしまった。
ふと不意に疑問に思った。
は実際のところ毛利のことをどう思っているのだろう?
「なあ。」
俺は短く声を掛けての意識をこちら側へ引き戻した。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど。」
「厠ならこの先の廊下を……。」
「いや、違ぇよ。
厠じゃなくて、毛利…元就のことだ。あんた、あいつをどう思う?」
「はい?どう……と言われましても。
優秀な子だと思いますよ?」
「そうじゃなくて……じゃあ、言い方を変える。
あんた毛利が自軍の兵を道具のように扱ってるの知ってるか?」
「話には聞いています。」
「どう思う?」
「質問の内容が抽象的過ぎて長曾我部殿が何を仰りたいのか良く分かりません。」
「っだー!!だから!あんたは自分の弟がそんな非情なのに対してどう思うのかって聞いてんだよ!!」
「どうも思いませんよ。」
な……。
「思わないのか……?」
「ええ、思いません。
長曾我部殿は非情だと仰りますけど、そもそも戦それ自体が不条理の塊です。どれだけ人を殺すかでその名の価値の有無が決まります。長曾我部殿だって、四国を統一する際に数多の人間を殺したのでしょう?」
味方も含めて、と静かに反論してくるに俺は何故か弾劾されているような気分になった。
「だが、やり方ってもんがあるだろう?あんな人を人と思わないような策で、部下まで巻き込んで……。
この前の俺との戦の時なんか俺をおびき寄せるために一個小隊を捨てたんだ。奴ら、死に物狂いで戦ってたよ。前に進んでも後ろに戻っても待ってるのは死だってのに……。
それでもあいつは眉一つ動かしゃしねえ。てめえの為に死んでいった部下達に掛ける言葉の一つも無いのかと問い詰めたらあいつは鼻で笑いやがった!
なあ、あんた身内としてどうなんだよ!?これでも何とも思わないっていうのか!!?」
段々と昂ぶっていく俺の激情を、はちょっと困ったような笑顔で聞いていた。
「長曾我部殿は本当にお優しい方なのですね。でも私はやはり元就のやり方が最善だと思います。
100人の犠牲によって1000の民の命が救われるならその方がいいではありませんか。」
そう思いません?と問いかけてくるの声は漣一つ立っていない水面のようで、まるで母親に悪戯を咎められているような気分に陥る。
俺は聞き分けの無い子供だ……ってか?冗談じゃねえや。
確かに筋は通っちゃいるが、だったらその100人に感謝の一つでもしてやったっていいじゃねえか。100人のために涙を流してやったっていいじゃねえか。それなのに……。
「少し長話が過ぎましたね。
朝餉が冷めてしまいますので早めに身支度を整えていらしてください。」
俺が尚も言い募ろうとするのを遮り、は深々と頭を下げるとさっさと下がってしまった。おい、と声を掛けるが聞こえていないのか――恐らく振りだろうが――戻ってくることは無かった。
そういうところも似てるのな。
“我の寝首を如何に効率よく、そして安全に掻けるかを考えることに時間を費やすだろう”
結局肝心のことが聞けなかった。
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